保育園の子供と幼稚園の子供 Vol.2 「信頼感」を持ってきてくれる子供 - 2014.04.12 Sat
前回の「問題」としたところが、ではどう具体的に子供たちの姿、そこからの関わりに影響してくるのかということを見ていきたいと思います。
このことは、幼稚園に限った話ではなく保育園、学校などでも基本的に同様のことです。
「受容」であるとか「満たされる」であるとか、自己肯定感、安心感といった情緒的な面だけでなく、食事をきちんともらっているか、睡眠時間を親が配慮してしっかり確保しているか、清潔にしてもらったり必要なだけの身の回りの世話をしてもらっているかなどなど、そういった有形無形のさまざまな子供への関わり・環境・配慮からくるプラスの蓄積されたものをひっくるめて「リソース」という言い方を前回のところではしていました。
このリソースが、子供が負荷のかかる状態に置かれた時にそこでやっていく力というのを確保してくれているのです。
では、それは具体的にどのような形ででてくるのでしょうか。
まず、なんと言っても第一に「信頼感」というものが違ってきます。
受容などのリソースにあふれた子は、「親への信頼感」というものが家庭の中ですでに形成されています。
しかし、それだけではありません。
十分に「親への信頼感」を持っている子は、その範囲がだんだんと拡大していっています。
そして社会性のでてくる幼児期くらいになると「大人全般への信頼感」というものを持つようになります。
1 この「大人全般への信頼感」というものを持っている子ならば、親元を離れて集団生活にはいったとしても、そこでの適応が容易です。
2 「大人全般まではいかないけれど、親や身近な人など特定の人には信頼感を持ってている」という段階の子もいるでしょう。
こういう子でも上の子よりは少々時間がかかったり、そこでの反動というものはより強く見せたりするでしょうけれども、少しずつ日々の生活を積み重ねたりするなかでだんだんと信頼できる人の範囲も拡大していき、次第に慣れていくことも可能でしょう。
3 「大人全般への信頼感も形成されていない、親など特定の人への信頼感も希薄」な状態の子供だったとしたら、これは簡単ではありません。
意図的にその子との信頼関係を築くというプロセスを配慮していくぐらいでなければ、そこでのその子の活動というのもうまくいきませんし、その子自身の成長というもののスタートラインを確保してあげることも難しくなってしまいます。
仮にこの状態を上から1、2、3、としましょう。
いまや保育園では3の子が普通に入ってきます。
別に放任やネグレクトの家庭が多いからというだけではありません、一生懸命に子育てしている家庭でも子供への関わり方がうまくなかったり、多忙であったり、祖父母などの助けも得られず母親一人の子育ての負担が増大しているせいだったり、過保護や過干渉を重ねすぎて子供が大人を信頼しなくなってしまっていたりなどなど、現代の全般的な養育力の低下というものが、そういう状況を招いているのだと思われます。
保育園では、その子達を長時間集団の中で安全に預からなければなりません。
「なんとかなってしまう」はそこでは望めません。
なので、そういう子であったとしてもそこに必要なだけの手助けを配慮していく必要があります。
そのためには子供たちを集団として見るのではなく、さらに細かく個別で見なければなりません。
具体的に個々との信頼関係を築くことを明確に意識します。
どこかの過去記事の中でもその問題点を指摘していますが、そのような対応をせずに昔ながらの集団重視の保育をしているところもありますが、それでは齟齬がでていたりしていやおうなく行き詰まり、そこからの切り替えというものは要求される段階にかなり前から来ています。
ただし、地域によってはまだ比較的養育力が高く保たれていて、そこまでの取り立てての配慮をせずとも済んでいるところもあるかもしれません。
都市部ではなかなかそれは厳しいように思います。
小学校低学年での学級崩壊という問題は、3の状態が如実に現れていると言えるでしょう。
その中心となってしまっている子供たちは、もはや「大人だから」「先生だから」ということでは従わない状態にいるわけです。
これまで、学校の先生方にとっては一部をのぞいたとしても大部分の子が、この全般的な信頼感をすでに持った状態の子供を相手にすることが可能でした。
でも、いまはその中心となってしまう、大人への信頼感を著しく欠いた状態の子 プラス そういった子にたやすく影響されてしまう程度の大人への信頼感しか持っていない子 が多数を占めるクラスを見なければならない可能性があるという現実にいます。
大人への信頼感をきちんと形成できていない子は、ルールや規則などをどれだけ教え込んでもそれらはさして影響力を持ちません。
なので、従来のように規範を当てはめることや、叱ったり、上から指導するということだけでは根本的な改善というのは望めないのです。
それゆえ最近の小学校の先生たちは、勉強以前のところから子供に関わる活動を入れたり、クラスの友達同士や年上の子供たちとの縦の関係などをいい形で子供たちに還元できるような活動の取り組みというのを意識して盛り込んでいます。
今ちょうど新年度ですから、新1年生なんかはこれから生活課の授業の中で公園に遊びに行ったり、先生と鬼ごっこをしたりということがあると思いますよ。
1の子を対応している限り、「信頼関係」は向こう持ちで済んでいたのです。
保育士なり学校の先生なり、幼稚園の先生がことさら、なにかせずとも子供が「信頼感」を家庭から持ってきて、それを使って保育や勉強や集団生活というものを送らせることができます。
そこに少し2の子が混じったとしても、多数が1の子であれば余力も十分にありますから、その子達に手をかけることも可能でしょう。
ことさら大人が手をかけずとも、周囲の子供集団が高い余裕を持っているので1の子達が2の子を自然と集団の力で安定させていってくれるということもできます。
1の子が少数、2の子が多数という状況になったとしたら、これは少々大変でしょうね。
でも、大人の方が必要な人手を増やしたり、年度始めなどの特に大変な時期を乗り越えてしまえば、あとはだんだんと安定していけることでしょう。
今回むーちゃんが通い始めた幼稚園というのは完全にこの一番上の段階です。
やろうと思えばなんでもできるでしょうし、さしてなにもせずとも大過なく過ごすことが可能でしょう。
こういった状況に3の子が少し入ってきたとしたら・・。
それがごく一部であれば、さして対応の枠組みを変えずとも個別対応で乗り切ることもできます。
学校なんかだと問題のある家庭の保護者を呼び出して、「もっとしっかりしてください」的な対応で済んでいたこともあるでしょう。
よしんばそれでその子自身は変わらなかったとしても、集団としてのクラス経営がなんとか成り立ってしまうのならば、それで1~2年やり過ごしてしまうことはできました。
しかし、3の状況の子が多くなってきたり、それに準じる子が多数を占めてきたらそうも言っていられません。
対応の大枠自体を見直さなければ日常が過ごせないのです。
保育園はその局面に、もう20年以上も前からあたっています。
先見の明のある人は、30年、40年近く前からそれを指摘しています。
学校でも本格的にこのようなことに取り組んでいます。
以前コメントの中で保育士をしている方から、学校の先生と話をしたら「保育士風情がわかったようなことを言うな」と罵られたことがあるということを教えてくださいました。
なかにはそのように大変プライドの高い方というのもおられたようですが、いまは学校の先生の方から学校以前の子供の様子や家庭・親の様子というのを教えてくださいというようなことも出てきています。
幼稚園においても3の子が多くなってきている実情というのは確実に増えてきているのだとは思われます。
しかし、まだ「なんとかなってしまう」で済ませているように僕には感じられます。
大人への信頼感が薄くとも、年齢ゆえの素直さを持っていたり、まだ大人に対抗したりまるっきり相手にしないでいられるだけの強さがあるというわけでもありません。
生活の中でも依存する部分があったり、信頼感が希薄なゆえに出し方はいい形ではないにしても、本心では相手をしてもらいたい、甘えたいというような気持ちもあるので、完全に手に負えないという状況にはそれより大きな子に比べれば比較的なりにくいでしょう。
なかには、はっきりと言わないにしても、問題児扱いして積極的な対応を放棄してしまう、いわゆる「落ちこぼれ」状態にしてやり過ごしてしまっているというケースも現実にあります。
2年ほど前から、学校・幼稚園・保育園の連携の強化というものが明確に各指導要綱のなかに盛り込まれました。
幼稚園も、「なんとかなってしまう」に甘んじないでいま少し本格的にこのことに取り組んでもいいのではないかと僕は思います。
しかし、この取り組みの一番最初の段階で必要なこと、「視点」の意識という問題がまだ認識されていないように僕には感じられます。
このことについてはいずれまた書くつもりです。
このことは、幼稚園に限った話ではなく保育園、学校などでも基本的に同様のことです。
「受容」であるとか「満たされる」であるとか、自己肯定感、安心感といった情緒的な面だけでなく、食事をきちんともらっているか、睡眠時間を親が配慮してしっかり確保しているか、清潔にしてもらったり必要なだけの身の回りの世話をしてもらっているかなどなど、そういった有形無形のさまざまな子供への関わり・環境・配慮からくるプラスの蓄積されたものをひっくるめて「リソース」という言い方を前回のところではしていました。
このリソースが、子供が負荷のかかる状態に置かれた時にそこでやっていく力というのを確保してくれているのです。
では、それは具体的にどのような形ででてくるのでしょうか。
まず、なんと言っても第一に「信頼感」というものが違ってきます。
受容などのリソースにあふれた子は、「親への信頼感」というものが家庭の中ですでに形成されています。
しかし、それだけではありません。
十分に「親への信頼感」を持っている子は、その範囲がだんだんと拡大していっています。
そして社会性のでてくる幼児期くらいになると「大人全般への信頼感」というものを持つようになります。
1 この「大人全般への信頼感」というものを持っている子ならば、親元を離れて集団生活にはいったとしても、そこでの適応が容易です。
2 「大人全般まではいかないけれど、親や身近な人など特定の人には信頼感を持ってている」という段階の子もいるでしょう。
こういう子でも上の子よりは少々時間がかかったり、そこでの反動というものはより強く見せたりするでしょうけれども、少しずつ日々の生活を積み重ねたりするなかでだんだんと信頼できる人の範囲も拡大していき、次第に慣れていくことも可能でしょう。
3 「大人全般への信頼感も形成されていない、親など特定の人への信頼感も希薄」な状態の子供だったとしたら、これは簡単ではありません。
意図的にその子との信頼関係を築くというプロセスを配慮していくぐらいでなければ、そこでのその子の活動というのもうまくいきませんし、その子自身の成長というもののスタートラインを確保してあげることも難しくなってしまいます。
仮にこの状態を上から1、2、3、としましょう。
いまや保育園では3の子が普通に入ってきます。
別に放任やネグレクトの家庭が多いからというだけではありません、一生懸命に子育てしている家庭でも子供への関わり方がうまくなかったり、多忙であったり、祖父母などの助けも得られず母親一人の子育ての負担が増大しているせいだったり、過保護や過干渉を重ねすぎて子供が大人を信頼しなくなってしまっていたりなどなど、現代の全般的な養育力の低下というものが、そういう状況を招いているのだと思われます。
保育園では、その子達を長時間集団の中で安全に預からなければなりません。
「なんとかなってしまう」はそこでは望めません。
なので、そういう子であったとしてもそこに必要なだけの手助けを配慮していく必要があります。
そのためには子供たちを集団として見るのではなく、さらに細かく個別で見なければなりません。
具体的に個々との信頼関係を築くことを明確に意識します。
どこかの過去記事の中でもその問題点を指摘していますが、そのような対応をせずに昔ながらの集団重視の保育をしているところもありますが、それでは齟齬がでていたりしていやおうなく行き詰まり、そこからの切り替えというものは要求される段階にかなり前から来ています。
ただし、地域によってはまだ比較的養育力が高く保たれていて、そこまでの取り立てての配慮をせずとも済んでいるところもあるかもしれません。
都市部ではなかなかそれは厳しいように思います。
小学校低学年での学級崩壊という問題は、3の状態が如実に現れていると言えるでしょう。
その中心となってしまっている子供たちは、もはや「大人だから」「先生だから」ということでは従わない状態にいるわけです。
これまで、学校の先生方にとっては一部をのぞいたとしても大部分の子が、この全般的な信頼感をすでに持った状態の子供を相手にすることが可能でした。
でも、いまはその中心となってしまう、大人への信頼感を著しく欠いた状態の子 プラス そういった子にたやすく影響されてしまう程度の大人への信頼感しか持っていない子 が多数を占めるクラスを見なければならない可能性があるという現実にいます。
大人への信頼感をきちんと形成できていない子は、ルールや規則などをどれだけ教え込んでもそれらはさして影響力を持ちません。
なので、従来のように規範を当てはめることや、叱ったり、上から指導するということだけでは根本的な改善というのは望めないのです。
それゆえ最近の小学校の先生たちは、勉強以前のところから子供に関わる活動を入れたり、クラスの友達同士や年上の子供たちとの縦の関係などをいい形で子供たちに還元できるような活動の取り組みというのを意識して盛り込んでいます。
今ちょうど新年度ですから、新1年生なんかはこれから生活課の授業の中で公園に遊びに行ったり、先生と鬼ごっこをしたりということがあると思いますよ。
1の子を対応している限り、「信頼関係」は向こう持ちで済んでいたのです。
保育士なり学校の先生なり、幼稚園の先生がことさら、なにかせずとも子供が「信頼感」を家庭から持ってきて、それを使って保育や勉強や集団生活というものを送らせることができます。
そこに少し2の子が混じったとしても、多数が1の子であれば余力も十分にありますから、その子達に手をかけることも可能でしょう。
ことさら大人が手をかけずとも、周囲の子供集団が高い余裕を持っているので1の子達が2の子を自然と集団の力で安定させていってくれるということもできます。
1の子が少数、2の子が多数という状況になったとしたら、これは少々大変でしょうね。
でも、大人の方が必要な人手を増やしたり、年度始めなどの特に大変な時期を乗り越えてしまえば、あとはだんだんと安定していけることでしょう。
今回むーちゃんが通い始めた幼稚園というのは完全にこの一番上の段階です。
やろうと思えばなんでもできるでしょうし、さしてなにもせずとも大過なく過ごすことが可能でしょう。
こういった状況に3の子が少し入ってきたとしたら・・。
それがごく一部であれば、さして対応の枠組みを変えずとも個別対応で乗り切ることもできます。
学校なんかだと問題のある家庭の保護者を呼び出して、「もっとしっかりしてください」的な対応で済んでいたこともあるでしょう。
よしんばそれでその子自身は変わらなかったとしても、集団としてのクラス経営がなんとか成り立ってしまうのならば、それで1~2年やり過ごしてしまうことはできました。
しかし、3の状況の子が多くなってきたり、それに準じる子が多数を占めてきたらそうも言っていられません。
対応の大枠自体を見直さなければ日常が過ごせないのです。
保育園はその局面に、もう20年以上も前からあたっています。
先見の明のある人は、30年、40年近く前からそれを指摘しています。
学校でも本格的にこのようなことに取り組んでいます。
以前コメントの中で保育士をしている方から、学校の先生と話をしたら「保育士風情がわかったようなことを言うな」と罵られたことがあるということを教えてくださいました。
なかにはそのように大変プライドの高い方というのもおられたようですが、いまは学校の先生の方から学校以前の子供の様子や家庭・親の様子というのを教えてくださいというようなことも出てきています。
幼稚園においても3の子が多くなってきている実情というのは確実に増えてきているのだとは思われます。
しかし、まだ「なんとかなってしまう」で済ませているように僕には感じられます。
大人への信頼感が薄くとも、年齢ゆえの素直さを持っていたり、まだ大人に対抗したりまるっきり相手にしないでいられるだけの強さがあるというわけでもありません。
生活の中でも依存する部分があったり、信頼感が希薄なゆえに出し方はいい形ではないにしても、本心では相手をしてもらいたい、甘えたいというような気持ちもあるので、完全に手に負えないという状況にはそれより大きな子に比べれば比較的なりにくいでしょう。
なかには、はっきりと言わないにしても、問題児扱いして積極的な対応を放棄してしまう、いわゆる「落ちこぼれ」状態にしてやり過ごしてしまっているというケースも現実にあります。
2年ほど前から、学校・幼稚園・保育園の連携の強化というものが明確に各指導要綱のなかに盛り込まれました。
幼稚園も、「なんとかなってしまう」に甘んじないでいま少し本格的にこのことに取り組んでもいいのではないかと僕は思います。
しかし、この取り組みの一番最初の段階で必要なこと、「視点」の意識という問題がまだ認識されていないように僕には感じられます。
このことについてはいずれまた書くつもりです。
| 2014-04-12 | 保育園・幼稚園・学校について | Comment : 27 | トラックバック : 0 |
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