ハラスメント対応のお作法 - 2018.07.22 Sun
その中で、「差別する側に対しても優しくすることでそれを解決してあげることが必要ではないか」といったものがいくつかありました。
これは道徳論的にはたしかにある種の説得力があるので、世間にも一般的にこの種の意見が流通しています。
しかし、現実論としては、この対応が危険なものになったり、その問題の放置に使われることがあるので、職員差別やハラスメントをする人への対処の留意すべき点を少し書いておきます。
まず、「ハラスメントする側にも優しくしてあげて、その人の問題を解決することで是正するべき」という考え方ですが、これは優しくしてあげることで改善されたケースに関しであれば、結果論として言うことはできるでしょう。
その場合は、それでうまくいったから良かったのですが、現実にはそればかりではありません。
ハラスメントする側に、その人の苦衷を察してあげてなんとか安定してもらいたいと善意で接したとします。その人に優しくしたり、要求を聞き入れてあげたり、グチを聞いてあげたとします。
何度も言いますが、これでいい方にいくケースもないわけではありません。
しかし、その人の問題が根深いケースでは、これをするとその人の認知の中で「この人間は自分より下なので攻撃したり言うことを聞かせていいのだ」ということが強調されてしまう場合があります。
すると、結果的にその優しくしてあげた人がより攻撃の矢面に立つことになり、大きなダメージを負ってしまいます。
保育士には、善意の厚い心優しい人もたくさんいます。
その人たちは、ハラスメントをする人にとって格好の餌食となる場合があります。
相手の人のためを思って改善できるようにアプローチしてあげた結果、突発性難聴といった心身症や、ノイローゼ、ウツ、その人からのストレスを家庭で出さざるを得なくなって家庭崩壊につながってしまう人、病欠や休職、退職に追い込まれてしまうといったケースが少なからず実際に起こっています。
ちなみに、僕自身もこれにより退職に追い込まれてしまった人間の一人です。その後、ウツと希死念慮に数年苦しむことになります。僕がいま生きているのは、そのとき妻がその状態を否定せず支えてくれたからです。
なので、「その人も苦労しているのよ、だから優しくしてあげなくちゃ」といった世間に流布する一般的な感情論で対処してしまうことは、大変危険なものと言えます。特に、直接対処するわけでもない第三者が言う場合はなおさらです。
◆
他者にマウンティングする人は相手を見ます。自分よりも上であるか下であるか。
なので、同僚や後輩が優しくしたとしても、かえって仇になることが起こりやすいです。
だからそういった人への対処をする場合は、上司である人や先輩に当たる人(年齢が上の人)がした方がいいです。
無責任な上司だったりして、部下にその仕事を押しつけてしまう人の場合、その部下の人は危険にさらされます。
施設長などの上司が当のハラスメント体質を持っている場合、団結して対処するか、自分の身を一番に考えて一目散に逃げることが現実的な選択肢となります。
例えば、新卒間もない20代の人が、50代のハラスメントしてくる施設長の心のケアができると思いますか?
まず、そんなことは不可能です。その人が、善意で接しようとすればするほど格好のサンドバックにされかねません。
◆
職員が定着せず常に入れ替わっている施設では、上司や職場の姿勢にそういったハラスメント体質が染みついている場合があります。
こういったところでは、辞めようとする人間に対して「あなたは子供たちを放り出していくのね。無責任で保育者失格ね」「保育者として愛情がない」といったモラルハラスメントは常套句です。
それがまっとうできない職場状況にしている人間に非があるのであって、ハラスメントされている側がそれを斟酌してはいけません。なにかあったとき、まずは自分の身を守ることが第一なのです。
もし可能ならば、その次に子供への不適切な対応を役所なり、その職場の上部組織などに公益通報をするといったことで、子供や他の職員を守るアクションを考えましょう。
これを読んでくれている人に理解して欲しいのは、第三者がそういったモラルハラスメントの片棒を担がないように気をつけるということです。
年度の途中に辞職するようなことがあった場合、一見、その人の責任を追及したくなります。
しかし、それに乗ってしまうと、ハラスメントされる側が悪者になり、ハラスメントをする側が正義になってしまいます。
道徳論で考えてしまうと、ここにおちいり易くなります。
こういった、その第三者に悪意がなくとも被害にあった方を責めるあり方を「レイプカルチャー」と呼びます。
◆
「レイプカルチャー」のゆえんは、レイプといったハラスメントの被害にあった人に対して、「そんな格好をしているからだ」「あなたがお酒に酔いつぶれるからだ」といった、モラルの見地から被害にあった側を責めるというところから来ています。
これはものごとの本質を見誤らせるものです。どんな状況であれ、他者を侵害する行為は侵害する側に非があるのです。
しかしながら、一般にはこのような被害側を責める文化が存在しています。ゆえに「レイプカルチャー」と呼ばれます。
これはなにも性的なものだけでなく、例えばいじめ問題にも同様の構造があります。
いじめの被害を受ける子に対して、「彼にも悪いところがあった」といった意見がひんぱんに出てきます。これはその意見を言う第三者にそのつもりや悪意がなくとも、「彼に悪いところがあるからいじめられても仕方がない」という結論を言外に出しています。その人に悪意がないので、そのような指摘をすれば、補足をしたり言い訳をすることで、その人はそれを否定するでしょうけれども、そういった考え方、思考の文化が寄り集まってしまうことで、いじめは容認されることにつながります。
「彼女がたとえどんな格好をしていようと、それをレイプしていい理由にしていいわけがない」
(海水浴場で水着の人がいるからといってレイプが横行していないですよね)
「彼にたとえどんな問題があったとしても、それをいじめの理由としていいわけがない」
(理由があればいじめをしていいいのであれば、世の中はいじめばかりになります。それがいまの日本の現状なのですが・・・)
第三者は、そのように認識しなければなりません。
レイプカルチャーは悪意がない人によって形成されるからこそ、余計に始末に負えないものなのです。
ある中学校では髪型をポニーテールにすることが禁止されています。理由は、性的な被害を引き起こすからとのこと。これはつまり学校がレイプカルチャーを容認していると言うことです。
この一事だけでも、学校とはハラスメントに対して非常に鈍感であることがわかります。
これでは、学校でいじめが起こるのも当然です。
◆
さて、話をハラスメントする人への対処についてに戻します。
「ハラスメントする側もかわいそうな人」
この意見は一見、道徳的で、善意に満ちているように見えます。
しかし、上で述べたようにこれを第一に置いてしまえば、レイプカルチャーの肯定につながります。
ここにはものごとの順序の適切な理解が必要です。
ハラスメントや差別という問題があった場合、まず第一に考えなければならないのは、被害にあっている側の原状回復です。
被害を与えている側のことを考えてあげるのはその後のことになります。
まずは、被害にあっている側を救うことを考えなければなりません。
しかし現実には、この「加害側に情けをかける」という道徳的な論調によって、いろいろな問題が引き起こされます。
次のようなことがしばしば報告されます。
●子供が担任保育士により明らかに不適切な虐げられるような関わりをされている。そのことを保護者が園長に相談した。
●二人担任のクラスで、一方の担任保育士が先輩保育士の方からハラスメントを受けている。それを園長に相談した。
こういったものに対して、その園長はどちらにも同じくこんな対応をします。
「その担任の保育士も、彼女なりに辛いこともあったりしながらも頑張っているんです。どうか理解してあげて下さい」
これ、問題を感情論にすり替えることで、苦情の口をふさごうとするロジックなのです。
この対応をする保育園の施設長がとても多いのを感じます。論理的に考えてそうしているのではないのだろうけど、無自覚に問題を矮小化するためにそういう対応になっているのでしょう。
この対応は大失敗です。
たしかに、中にはその報告が誇張されていたり、考えすぎから誤解を招いてしまっている場合もあります。
侵害しているとされる担任の側に言い分があることもあるでしょう。
しかし、こういった「意見を言ってきた側の口をふさぐ対応」というのは、数ある対応の中でもっともまずいもののひとつです。
これをすると、解決するものも解決しなくなります。
このロジックは、道徳的な観点を持ち込んで感情論にすり替えるものです。
このロジックを使うと、それ以上事を荒立てるのは大人げなかったり、優しさに欠けているように感じられるので、相手はそれ以上口に出しづらくなります。
しかし、これは被害にあっている側を泣き寝入りさせる対応です。
これはレイプカルチャーのロジックでもあります。
被害を訴えられているのであれば、まずはなにを持ってもその被害を回復することが第一なのです。
被害を与えていると問われる側の肩を持ったり、その人の改善を考えるのはその後のことです。
◆
ハラスメント体質を持っている人の問題解決は、外部からの介入によって簡単にできるものではありません。
まず必須とも言える条件があります。
それは、「その人自身が自分の現状を変えたいと望むこと」です。
ある保育施設のことです。
その園では、人手不足もあって、またその保育士自身のことも考えて、責めない方向でなんとかそのハラスメント(職員にも子供にもしている)をする人の改善を考えていました。
そのために、月に一度、子供や他者にどういった関わりが大切なのか考えるための、人権について職員全体で学ぶという研修まで重ねています。
しかし、その問題ある職員は改善するよりもむしろさらに、他者への攻撃的な行動や、子供への不適切な関わりを増長させていき、子供への被害や周囲の保育士が病気になってしまうといった深刻な状況を引き起こし、退職勧告をしなければならなくなりました。
その状態になってすら、「自分は職場内で差別を受けている。ハラスメントを受けている」といった認識で、上部組織をも巻き込んでひと悶着を起こしています。
ハラスメント体質には、自身の問題を「他者のせい」とその人の認識の中ですり替えてしまう傾向が含まれています。これを「認知のゆがみ」といいます。
これが強い人に対しては、いくら善意で関わったとしても、その人に都合のいい解釈しか生まれません。その場合、改善ではなく増長が生まれてしまいます。
ですから、安易な道徳論、感情論で「ハラスメントする側も苦しんでいる」といった考え方を広めてしてしまうことは危険なのです。
◆ハラスメントへの対応の基本。
他者を攻撃、侵害している間はその行為に対して職員全員で結束して徹底的にNOを表明すること。
その人個人を責めずとも、その行為はNOであることを認識させ、それを理解し尊重するようになってからその人への援助が始まります。
「私はあなたを助ける用意がある。でも、他者を攻撃している間は私はその人を守ることを考えなければならないので、助けたくとも助けることができません」という態度が必要ではないかと思われます。
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● COMMENT ●
受容と信頼関係の保育について
今回のブログとは関係のない話なのですが、「いい保育とうまい保育」など過去のブログを読ませていただき、自分の日々の保育と比べた時、分からない事があったのでのでコメントさせて頂きました。
いま、私は5歳児の担任をしています。2人体制で、もう一人の先生はベテランのA先生です。
わからないことというのは、B君という子の対応についてです。
ある日、A先生がいない状態で、私がリーダーで保育をすることになりました。午睡明けのおやつを食べた後の絵本を読み聞かせする時の事です。手遊びをした後、私が絵本を読もうとするとB君が前に出てきて、大声で話したり、自分のパンツを下げて見せびらかしたりし始めたのです。私はB君に何度もやめるよう伝えましたが、全くやめる様子もなくそれどころかもっとヒートアップしていきました。私は一度B君を抱きかかえ少し離れたところで、やめてほしいと伝えてましたが、B君は「離せ!離せ!」と言って聞く様子は見られず。見かねた、他の先生がB君に何かを手伝うようお願いすると、B君はそっちの方は行き、なんとか絵本を読み始めることができました。今回のようなことは過去にあり、どうすれば良かったのか考えた挙句、もっと感情的になって怒ればよかったのか、子どもになめられてるからこうなるのか、という考えに行きつきました。
しかし、その日の夜先生のブログに出会い、受容と信頼関係の保育について読み、とても感銘を受けました。ただ今回のようなケースで考えると、B君のこういった姿を肯定した後、大人の価値観の枠にはめない方法で導く(見守る?)にはどうすればいいのでしょうか?あの時はその場には他の子どもたちもいて、全体を動かさなければいけないという状況もあったのでそれも含めてどうしたら良かったのか、助言を頂けたら嬉しいです。
長文失礼しました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ご迷惑おかけしました
ご迷惑おかけしました。ごめんなさい。
私のコメントを読んで不快な思いをした方へ。
不快な思いをさせてしまいすみませんでした。
参考になります
具体的な行動にも起こしやすいです。
保育に関わらず、ハラスメントは皆同じ構造で起きます。
参考になりました。
優しさとは何か、考えてしまいます。
被害者は時として、相手を許し、相手に優しくすることを良しとするべき、というような道徳がありますが、それは自然な形であれば良いけれど、
「許さなくてはいけない」
「どんなひとでも、優しくしなくてはいけない」
というような「〜しなくてはいけない」が付属しているような印象があります。
保育士おとうちゃんがされてきた経験が深く伝わり、説得力が凄いです。
机上の道徳心や、正しさ、優しさは、逃げることの出来ない鋭い凶器です。
道徳的であればあるほど、より逆らえず、自分の傷口を癒やす前に、他者を許し、優しさを与えなくてはいけない、ということが、本物の正しさであるというならば、心を壊してしまう他ありません。
子供が攻撃された時、自分が攻撃された時に、まずは自分の子供を自分を守ることが大切ですね。
逃げることや、避けること、まずは安全な世界に身を置くこと。逃げることもイジメられたことも恥じることではなく、罪悪感を感じることでもなく、凛とたたずんでおれば良いのですね。
保育士おとうちゃんのブログを読むと、自分の存在がクッキリとして、強い安心感を感じます。何よりも自分の存在を認め、自分を大切にすることの重要さが明確になります。
保育士おとうちゃんが乗り越えてきた先にあるものが何か、私はまだまだわかり得ていない部分はありますが、少しずつ練習していくうちに私も本当の意味でわかっていきたいと思っています。
嘆かわしい…
暴力行為は断じて許さない毅然とした方針を打ち出すどころか
「あの人はああいう人だから…」
「困った人だけど人手不足だから辞められても困るし…」
と見て見ぬ振りを決め込み、ハラスメントを黙認している人達の何と多い事か…と
保育業界に入ってつくづく実感しました。
そういった空気が蔓延している限り、ハラッサーが退職などで
居なくなったところですぐにまた第2、第3のハラッサーが現れる…
の繰り返しですね。
私事で恐縮ですが、以前の職場で酷いハラスメントに遭い、
新しい職場を探すにあたってはしっかり自分の目で見て雰囲気を確かめ
納得した上で入職した筈が…
新たに入職した方がハラッサー体質だったという事が度重なり
上記のような点で人間不信に陥っております。
おとーちゃんさんも、かつて酷い目に遭われたのですね。
お気持ち、お察しします。
しかしながら、そんな経験があるからこそ温かいアドバイスの数々が
私たちを救ってくれているのですね。
心ある保育士の方々の力で、保育業界に蔓延するこの嘆かわしい現状が
少しでも変わっていってくれればと願ってやみません。
難しいですね
ハラスメント問題は大変ですね。そういう人が2割くらいは職場にいる上に、やはり排除するのが最も良い方法らしいですが、それもまた難しい。とにかく、そういう人は自分の立場を周囲に善い人でありむしろ被害者のように取り込むすべに長けてますから、本当に難しいと思います。
確かに、ハラスメント体質の方からしたら、常識的や善人といった保育士は格好の餌食ですね。
私は、こども園に預けていた時にうまくいかず、自分のことで手一杯でしたが、今の方が、保育園で働く人が大変であろうことが、よく想像できます。
保育士さんも家庭では親だったり、園では第二の母として見守っていただく存在なので、ハラスメントが横行した場合になんとか改善できる仕組みが急務ですね。
ただ、ハラスメント(言ってみれば悪徳な新興宗教と似たような仕組みがあるので)は、被害に遭わない方には全く頭に入らない、理解できないことなので、そこが環境をよくするために大きなハードルですね。
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↑まさに、聞いたことがあるセリフです。
こう言われてしまったら、それ以上は何も言えなくて、黙るしかありません。
心ある主任の先生が、ハラスメントする側と、される側の間に立って、すごく苦労して疲弊されているのも見たことがありますが、本当に簡単には解決しない問題ですね。